教育委員会をあげて人権教育なるものが推進されています。
PTA会長になるとあて職として
必然的に地域の人権教育推進委員会なるものに参加させられます。
日本における人権教育は、昭和40年代、同和教育として
スタートしたわけですが、今では同和問題に加え
子どもの人権、高齢者の人権、女性の人権、犯罪者の人権、
外国人の人権、障害者の人権・・・とカテゴリも
増えてきましたが
弱い立場にいる方々(弱者)を気づかい、思いやりの心を持つことが
大切であることは言うまでもありません。
しかし弱者というのはあいまいな概念であって、
同じ人でも、ある立場では弱者であり、
ある立場では強者であるというのが真実でしょう。
ひとからげにして弱者!という発想はなにか違和感を感じます。
また、これまでプランナーとして
人権啓発の広報事業に数多く関わってきた中で
わかったことがいくつかあります。
その中のひとつは人権問題にも利権があることです。
差別されている!とアピールしてさまざまな利益を得ている人たちがいます。
こういう方々は、行政に対して「もっと人権教育をやれ!」と圧力をかけます。
そして行政は、各自治体にお金を落とし、何かやれということになります。
そして地域では、わけもわからず人権教育、人権啓発になんの見識もない方々が
中心となって会議を繰り返しています。
個人の権利、自由が尊重されすぎて
公としての義務や責任がないがしろにされてきたことによって
先人や親への感謝が失われ、人との絆が失われてきました。
平たくいえば、人権教育=左翼教育といっても過言ではありません。
そもそも人権教育というならば、
日本人として知っておかねばならないことがあります。
それは、世界ではじめて人種差別撤廃を訴えたのが日本であるということ。
1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議で日本の代表団は
国際連盟の規約に<人種差別撤廃条項>を加えるよう提案しました。
「人種あるいは国籍如何により法律上あるいは事実上何ら差別を設けざることを約す」
というもの。人種差別主義的なイギリスなどが反対する中、
出席者16名中11名の賛成多数を得たにもかかわらず、
議長を務めたアメリカは突如として全会一致を主張、
多数決を無視して本提案を退けました。
この拒絶を受け、日本は特にアメリカに対する不信感を強め、
ここから生まれた対立感情が、その後の大東亜戦争の呼び水となりました。
人種差別解放で有名な
マーチン・ルーサー・キングの生まれる10年以上の前の話です。
こんな誇らしい歴史が、人権教育上も、歴史教育上もまともに教えられていない
のが日本の教育です。西欧の教科書にはのっているのに・・・
戦前の日本は悪者で、醜い人たちだった・・・
そんな教科書で学んだ子供たちは、先祖を敬う気持になれないばかりか
愛すべき日本や、敬うべき大人を敬えず、アイデンティティが崩壊していきます。
そんな子どもを量産しておきながら、
人にやさしくしなさいとうわべだけの行動を促しても問題解決にはなりません。
日本という国や、その国を支えてきてくださった先人の方々への感謝があってはじめて
自分が今生きていることへの感謝、喜び、まわりの人たちへの思いやりに
つながっていくのだと思います。
また小学校でも英語教育がさかんになってきましたが、
ぜひとも日本の素晴らしさを再認識し、それを世界に伝えられるような
内容を英語教育に盛り込み、真の誇りある国際人を育てていくことが
私たち大人の役割であると感じます。
それらはまさに、日本人の権利として、学ぶ権利があるはずです。