僕は今オーストラリアで暮らしてます。
ここには、日本で暮らしていた時以上に、多くの外国の人に出会います。
それは、オーストラリア人の限らず、韓国や中国、ヨーロッパやアジア。。。
街に一日居れば、本当に多くの言語が飛び交っているのです。
もちろん、わかる事ができない言葉が多いです。
その中でも、英語の知っている単語が、クリアに聞こえて来たり
たまにいる同じ日本人の方が話すのが、クリアに聞こえてきます。
つまりその他の、言語は「ただ聞こえている音」と同じようなものである事に気がつきました。
僕は、「人間」の口から出る音 だから「言語」であると認識していて、更にそれが
当たり前であると体に染み付いているので、何を言っているかわからないが、それは
言語であると、認識している。
しかし、ここに当たり前の中にある、不思議な事があると僕は感じました!
つまり、僕が聞いている、理解できない言語は、耳に入って来る情報としては「音」と同じなのである。
音。。。。つまり、楽器が奏でる音も、理解できない言語も、僕の耳に入る情報は「音」なのです。
そして、その言語を使う人々は、その僕でいう、「音」に感情を持ち、喜怒哀楽するのです!
それが、僕にとって「音」である訳ですから、例えでいうなら
ピアノの音の鍵盤を10、押したら、それを聞いて理解する人が、悲しくなったり、喜んだり。。。
心が動くのです。きっと僕はピアノの音を単純に10音、聞いても何も思わないでしょう。
これは反対にももちろんいえて、僕は、「バカ」と言われれば、状況にもよりますが、悲しくなります。
「好き」と言われれば嬉しくなります。僕はこの「BAKA」と「SUKI」と言う「音」に感情を持っています。
もちろん、海外の日本語を知らない人からすれば、どんなに嫌いで「バカ」といっても
めちゃくちゃ好きで「好き」といっても、心は何も動かないでしょう。その意味を知るまでは。。。
こんな事に気づいた日でした。。。
生きるとは、おもしろい!!
今日も ありがとう!!
Leave a Comment