永遠のO点。
12.31, 2013
話題の映画「永遠の0」観ました。
内容について感想を書きますので
これからこの映画を観たいという人は
読まないでください。
さて僕は以前、特別攻撃隊の
中心基地となった鹿児島の知覧にある
特攻記念館の初代館長であり、
自らも特攻隊として
出撃準備していた板津忠正氏への取材や
知覧特攻平和会館などでの取材を
したことがあります。
そこで得た特攻隊の事実と
この映画に描かれる特攻隊には
あまりに乖離する部分が多く
とても残念な気持ちになりました。
言論の自由ですから
どのような物語をどう描き演出するのかは
制作サイドの自由ではあります。
ただ映画としてどうかというよりも
国のために散っていった英霊を
結果として侮辱するような内容であったことが
本当に残念でなりません。
(原作を読んでいないのでわかりませんが
原作ではもう少しましな
描かれ方なのかもしれませんが)
なぜあの映画が、英霊を侮辱するものなのか。
を書きたいのですが、
書きたいことがたくさんありすぎて
まだ整理がつきません。
ただ、まず1ついえることは
主人公が悲壮感を漂わせ、なかば頭がおかしくなって
理性的判断ができないような状況で
特攻していったという描かれ方が残念でしたし、
逆にその他の仲間はチンピラか暴走族のような雰囲気で
描かれていることなど設定や描き方が
あまりに事実と異なることが多すぎます。
そもそも大前提として本当の特攻隊は
まず志願した多数の者のうちほんのひとにぎりしか
任命されなかったのが事実です。
学力・体力・人間性に秀でた
超エリート集団であったのです。
特攻を志願したあの時代のエリートの方々は
自分さえよければというような個人主義とはほど遠い、
自分よりも国、社会、家族、仲間・・・
を大切にする滅私の価値観であの任務を志願したのです。
特攻で息子を亡くされたある家からは
「息子が大切な国の飛行機を壊しましたので」と
一機分の費用(今に換算すると数億円)を
調達したと方もいたそうです。
出撃基地周辺の地域の子ども達から尊敬され
出撃までパイロットの方々を慰問のため
さまざまな交流をした地域の方々の
涙なくしては読めない数々の日記も残されています。
先ほどの板津さんは「あの頃仲間はみんな、
祖国で家族や仲間や子ども達がどんどん無差別爆撃によって
殺されている戦況を横目に、一分一秒でも早く任務を遂行して
一分一秒でも米軍の侵攻を遅らせたいと心から願っていた」
とおっしゃっていました。
例えばある英霊の遺書には、心の中ではこの作戦で
日本が勝てるとは思っていないが
戦争が終わった後の日本人が誇りを持って生きられるように
との思いで散っていくと記されていたものもありました。
愛する妻を残し、子どもを残し、父母を思いながら
日本の未来のために、強い決意と信念をもって
散っていった方々のことを「可哀想」「頭がおかしくなった」
「洗脳された被害者」などと今の価値観で
歪んだ捉え方をすることは何よりの侮辱であると思います。
映画では真珠湾攻撃のシーンからはじまっていますが
そもそもなぜ真珠湾攻撃にいたったのか。
どのように日本は米国から追いつめられ
戦争にまきこまれていったのかを語らず、
真珠湾攻撃が戦争のはじまりのような捉え方は
(田母神元幕僚長の言い方をかりれば)
赤穂浪士が吉良邸に討ち入りするところから
物語がはじまってその理由を述べないのと同じことです。
なので歴史に詳しくない人が観ると
そもそもなぜこの人達は戦っているのか?
何と戦っているのか?がまったく見えてきません。
事実との乖離のみならず演出的にも断片的すぎて
感情移入できず一滴の涙も流すにいたりませんでした。
まあ、映画の感想は人それぞれですので
いろいろな感じ方があってよいかと思いますが
僕の中ではこの映画は「0点」です。
本当の特攻隊の方々の出撃前の写真は、
映画で描かれるそれとは異なり
その多くが笑顔に満ちあふれた
清々しささえ感じるものが多いです。
このような笑顔からにじみ出る、
国や愛する家族の未来を思う英霊の方々の
死を目前にしながらも寸分の迷いなき心にこそ、
感謝の涙を流さずにはいられません。
<写真の一部は ジャプラン出版 新編・知覧特別攻撃隊 高橋修 編より。その他は板津忠正氏所蔵>
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