ちがうちがう、エロじゃ、エロじゃなあい
5.12, 2014
タイトルは鈴木雅之さんの歌のメロディで。
ここのところ引きこもっているので、愛犬とずっといっしょ。
わたしのカラダの上でぐっすり眠っとる。
ああ、しあわせ。
ほとんど寝とるけど、たまに起きとるんやから〜。
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タイトルの話。
以前のSignaLのブログでは、ほとんどがエロでした。
わたし、エロキャラでした。
当時は官能小説を書いたり、セックスをかなり研究していたこともあって、
エロ、大得意でした。
ところがみなさん、もうお気づきかと思いますが、
ブログ第2ステージをはじめたこの3ヶ月近く、エロの要素は1ミリもございません。
犬、子ども、花など、さわやかな生活と、心の森の旅が主になっています。
意図的にそうしているわけではなく、
いまはエロな気分になれないのです。
あるとき、わたし、大変なことに気づきました。
小さいころから父親がおらず、母子家庭で育ってきたわけですが、
貧乏だし、勉強もできんし、っていうか勉強する気にならんし、なにをやってもうまくいかない。
不運続きの人生。
高校1年のときにつきあっていた彼が交通事故で死に、
死んでからほかに彼女がいることがわかり、大ショック。
わたし、その人の子どもをおろしていたし、なんかもう、どん底でした。
立ち直るまでに10年くらいかかったかも。
長い間、青春を棒にふってしまいました。
そして、わたしはしあわせになれないんだと思い込んでいました。
高校を卒業して就職すると、おっさんたちにモテることに気がつきました。
そのころはバブルでもあったのか、おっさんたち、高級割烹に連れていってくれたりしました。
医療関係の仕事だったので、先生たちが、誘ってくれるのです。
仕事がらみなのでカラダの関係はなし。
求められたら泣いてにげる、そしたら封筒を渡されて、お金が入っていたり、
仕事で親睦会という名の宴会をするたびに、酔っぱらってお金をくださったり。
わたしが19〜24歳のころです。
おっさん好きはけっこう最近まで続き(16歳年上のおっさんと結婚したし)、
それはそれで面白い体験でしたが、わたしの性格の弱さなのでしょう。
人に依存するのが当たり前になってしまっていました。
年上の男の人がなんとかしてくれるから。
(うちの夫はなにもしてくれませんが)
わたしから楽しいひとときをプレゼントするのではなく、
プレゼントしてもらうことになれてしまったのです。
つねに受け身。
エロが身に付いたのもそういた経緯なのだと思います。
わたしの魅力はエロだと思ってしまったのです。
そして、エロいと、かまってもらえるし、目立つ。
とはいうものの、さみしさをまぎらわせるものなので、人の顔色や言葉でぐらぐらぐらぐら。
心がとても忙しく、満たされず、怖れでいっぱい。
ずっと人のエネルギーをうばって生きてきたんだと気づいたのは、つい最近。
そんな自分に愕然としました。
無意識に、当たり前のようにそうして生きてきた自分が情けなくて情けなくて、もう、言葉になりません。
こんなんじゃ、わたし、いつまでたってもしあわせになれない。
自立しなきゃ、依存を断ち切らなきゃ。
そう感じました。
まだ出発点です。
エロな気分になれないのは、そういった経緯と、
苦しかった子育て(苦手〜逃げたかった〜でもがんばったよ〜)が、
子どもが中学に入ったとたん、だんぜん楽しくなったこともあります。
いきなりぐーんと大人になって、たのもしくなったのです。
わたしの中学のころはすさんでおり、
貧乏だったので部活もできず(ユニフォームとか道具とかお金がかかる)、
かといってヤンキーではなかったんだけど、
なぜかヤンキーの男子にはわりとモテたけど、つきあったって、すぐに別れ、
恋に夢中になりすぎて成績も悪いし、とにかく、あきらめの人生。
現実逃避ばかりしていました、いまもまだそうだけど。
(なぜかいつも松田聖子のものマネをしていました)
娘にはこんなすさんだ中学時代を送ってもらいたくない。
ありがたいことに娘は陸上部に入り、まぶしいくらいに部活をがんばっている。
スパイクやユニフォームなど、お金はかかるけど、無理してでもやらせてあげたい。
全部で5万円くらいは軽くかかるけど、お母さん、がんばるわ。
こんなにお金がかかるんだもの、2つ上の姉がいたし、母子家庭では無理だったことが、いまはわかる。
だからね、こっからよおう、こっから新しい自分を作っていくの。
いままでの自分を抱きしめて、
ありの〜ままの〜自分にな〜る〜のぉ(映画、見てません)。
あきらめず、
依存せず、
強く、しなやかに。
46歳で出発したって、遅くないでしょう?
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