いぬのように生きる
1.8, 2018
新年あけましておめでとうございます!!
本年もよろしくお願いします。
やさしい気持ちと笑顔でいっぱいの一年になりますように。
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年末に近づくにつれて、なんとなく気分が落ち込んでいました。
「がんばる」という言葉を見たり聞いたりすると、しんどくなってきたのです。
いつもだったら、友人たちの「がんばる」の言葉にエネルギーをもらい、「よっしゃ、わしもがんばるぞい」っとテンションを上げていたし、友人たちに対しても「がんばって!!」と心からエールを贈ることができたのだけど、あるときから「がんばる」を見たり聞いたりするたびに苦しくなっていきました。
わたしはなにをがんばればいいの?
もうがんばれない。
今までもとくにがんばっていないダメ人間だ。
がんばった先になにがあるの?
がんばらなかったら、友だちじゃなくなっちゃうかな?
がんばってかっこいいところを見せなきゃ、人は注目してくれない。
わたしは注目がほしいのか?なんじゃそりゃ!
ずいぶんと落ちぶれてしまったなあ。
(友人たちのがんばりはすばらしく、美しく、清らかで、心から尊敬しています。もちろん、これまでと変わらず大好きだし、エールを贈りつづけたいし、そうしています)
この「がんばれない苦しみ」からどうやったら脱皮できるだろうとずっと考えていたところ、年末、紅白の竹原ピストルを観ながら夫がぽろりと放ったひとことにヒントをもらいました。
「おれ、いつも思うんやけど、熱く生きなきゃいけないのかな、がんばらなきゃいけないのかな。いぬのようにただ生きて、死んでいくだけじゃダメなのかな」
夫は年末、掃除を手伝わず、こたつでごろごろしているじゃまな男だったけど(わたしは夫をオオサンショウウオだと思うことにしてイライラを回避)、そういう生きかたゆえに出た言葉なのだと思うけれど、このときばかりは心の底から同意しました。「いや、それでいいと思うよ」と。夫は肩のちからが抜けている、エゴがなければ闘争心もない。
すぐに思い浮かんだのは18年半生きて3年ほど前に死んだ愛犬のニパコ。そうだ、彼女はただ生きていた。死ぬことなど恐れていなかった。特別なことはなにもせず、そこにいるだけでかわいくて、心がほっこりした。なにかものすごいことをやってのけたわけでもなく、ただ生きていた。それで良かったし、こっちもなにかを求めていない。ただただニパコが大好きだった。
(わたしはニパコを愛しすぎて、ペットロスは深く、今もひとりごとが続いている)
わたしはどんなときも自己肯定をして、だれかと比べず、心のままに生きようと決めました。そうしたら気持ちがらくになりました。わたしは、このわたしのままで、ありのままで完璧なのだと、自分自身に伝え続ける。それが今年の目標です。
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