「泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない」2018年〆のご挨拶
12.28, 2018
温故知新
”春はあけぼの”、”夏は夜”、”秋は夕暮れ”、”冬はつとめて”
春は夜明けがいよね。夏は夜がいいよね。
清少納言の「枕草子」より。
約1000年前の随筆ですが、今の感覚とそれほど変わりないことに気づく。
1000年前の人たちも、僕らと同じ感覚を持っていたということ。
いや、むしろ人の心理や効用って1000年経っても変化していないのかも。
大垣と不易流行
「大垣」と聞いて「水の街」や「芭蕉」をイメージする人は多い。
では、松尾芭蕉とはどんな人か?
という問いに答えられる人は少ないかもしれません。
彼が提唱したひとつに【不易流行】という概念があります。
「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは
不変(普遍)の真理を知らなければ基礎は確立されず
変化を知らなければ新たな進展もない
つまりね、普遍の真理って、人や自然を知ることだと思うのよ。
でね、変化を知るって今だと、おそろしいほどのスピードで進展しているテクノロジーだと思うのよ。
私生活においてだろうと、ビジネスにおいてだろうと
なんか自分的には重要な気がする不易流行。
そんなことを日に日に強く感じながら歩んできた2018年、平成イブ。
今までとは明らかに「豊かさの定義」が変わってきたのを感じて
自分と向き合ってきた一年。
「強さ」がほしい。そう願うのは生物としての生存本能。
「生きること」とは泳ぐこと、「死なないこと」とは息継ぎをすること
しかし、人間的な強さとは、フィジカル的な強さではなく内面の強さではないだろうか。
内面の強さとは、誰よりも「自分」の事を理解し、「他者」を理解し
さらには「今に最適化」することではなかろうか。
サヴァイブ。
そんな時に出会った「無知の知」という言葉があります。
自分がいかに”知らないか、いかに無力かを知る”
それを”知った”うえで無知で無力な僕らは、他者と知恵や力を共有し先へと進んできた歴史がある。
「生きる」ことと「死なない」こととは、似て非なるものである。
僕はまだまだ泳ぎたい。
テクノロジーや資本主義というフィルターがかかって見えにくくなっている「人本来の望み」
そして、正解のない時代への「モノサシとしてのひとつ」としての提案。
それらを来年もまた、自身の車屋「LOCAL AREA」、動画関連「LOCAL TV」、農業関連「ミニトマトイトウ」や
ここ岐阜ブログコミュニティサイト「SUTER by SignaL」にて表現や皆様のお手伝いが出来たらな、と、思っております。
教育関連でも、面白い橋渡しが出来たらなぁ~なんて案件も、来年あったりなかったり。
「学び」は最高から、「実行実践」は最低から。
「未来を予測する唯一の方法は、未来を創ること」 by アラン・ケイ
今年も一年、お付き合いいただき、ありがとうございました〜。
「泣かない赤ちゃんはミルクをもらえない」
とはボスニアのことわざ。
赤ちゃんは、所構わず自分の欲望を主張します。
それは「生きる(死なない)為」の術。
息をするかの如く、人本来の自然な行為。
大人はそこまで所構わずとはいかないが、自分の意志や希望は発していかないと
誰にも伝わらないし、何も得ることはできない。
そしてそう考えると「忖度」のほうが、人間にとっては不自然な行為なのかもしれない。
さぁ~て来年のテーマは…
「宗教」、「お金」、「性教育」
日本人の三大タブー系でお送りしまぁ~す♪
んんがぁ、んんっ。
泣いてわめいてミルク飲み過ぎでぶくぶくだなぁー、おい。。w
子供から「生きる強さ」というものを多く学んでおります。
皆さん、よいお年を☆
おっす! 一番星!!
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