後之御祭
4.6, 2015
一年に一度お祭りで御神輿を担ぎます。
もう10年以上前から参加してる岐阜のお祭り「宵宮」。
夕方から夜にかけて御神輿を担ぎ、市内を練り歩いた後、伊奈波神社に御神輿を奉納するという立派な神事。
僕は金華地区の御神輿に縁あって参加してます。
今年も4月4日(土)に開催されましてね。まぁ楽しかった。
祭りというか御神輿を担いでると味わえるあのグルーヴ感、最高です。
翌日声が枯れ、肩が赤く腫れ上がりましたがホント楽しかった。
これからもできるだけ参加したいと思ってます。
「宵宮」当日、もうひとつ僕は密かな楽しみをもって参加してます。
金華神輿を担いだ担ぎ手は祭り終了後、伊奈波神社の参集殿って場所で打上げを行う。
そこでは地区の奥様たちがお酒と食事を用意してくれてて、大きな酒宴となるわけです。
政治家の方や地元有力者の面々の参加もありますが、
祭りを終えた男たちは各々酒を飲み、大声で話したりと盛り上がってる。
そんな喧騒中で何故か毎年行われる行事がある。
地域住民への挨拶ってことで、その地区の小学校の新任先生が一言ずつ挨拶をするんですよ。
ひと仕事終えて酔っ払い始めた沢山のウルサイ男達、大部分がおっさんの前で若い教師達が挨拶。
しかも殆どのおっさんは話聞いてない。とてもシュール。
社会経験豊富な大人の先生だったら構わないのかもしれない、が若い先生や新卒の人たちからしたら地獄だと思うわ。
僕はそんな若い先生たちが酔っ払い大喧騒の中、たどたどしく挨拶するこの行事が好きだ。
もちろん僕は挨拶をまじめに聞いてる。終わった後の拍手も周りはまばらでもしっかり拍手する。
「俺、聞いてるよ」って態度を前面に出してる。
会場の雰囲気に戸惑いながらも、若者が挨拶をするその姿はもうなんていうか、けなげな感じすら漂う。
特に若い女性教師の戸惑いぶりは見ていてそれはそれは萌える。
きっと学校で話してるときにこの雰囲気だったら、先生は怒るか、
しばらく黙って「静かになるまで5分20秒かかりました」とかいうと思う。
僕は思うんです。
たぶん小学生より、酔ったおっさんの方が性質が悪い。そこで挨拶を淡々とこなす事ができれば、
何があっても動揺しない強い心を持つことができる。そんな思いで毎年あそこで新任さんは挨拶をさせられるのだろうと。
言い換えれば修行である。強い心を会得するための修行なのだ。
だからって誰も聞いていないのは可哀想なので、せめて僕だけでもと妙な義務感をもって挨拶を聞くのである。
と思ってたら、今年は新任先生の挨拶がなかった。出席はされてたけどお名前呼ばれてペコリで終わった。
なんだよ楽しみ半減じゃん。ちゃんとやろうぜ挨拶!と思ったのは多くの参加者の中で恐らく僕一人。
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