Q’s
6.14, 2014
6/14(sat)
Q’s ~Let’s all hold hands and get into a circle~
@EMERALDA
-GUEST-
HIKARU
masa a.k.a conomark
-LIVE-
たけたけ (木霊)
-DJ-
MOTIVE (aLFFo)
Q-TiK (WALK ABOUT)
-CHILLOUT-2F
RYUMA (illcom+)
nao (yeye)
KnK (plaqza)
nutsman (wahwah)
con (itoma)
-SHOP-
WARUNECO
BROWNIE CAPS
-DECO-
YOTTU
OPEN 22:00~
adv. 2,000yen / door. 2,500yen
沖縄よりDJ HIKARU、東京から名古屋に移住したMASA a.k.a CONOMARK!
東京は高円寺の人間交差点GRASS ROOTS出身のゴールデンコンビが岐阜に来てくれます。
DJ HIKARU (BLAST HEAD)
日本中のおもしろパーティをトビ廻るDJ。ゆるい次男。ネコ好き。
高円寺の人間交差点こと〈GRASSROOTS〉のハコ番を経て、沖縄へ移住。
大規模な野外フェスティバルや、大バコで海外アーティストのサポートからアンダーグラウンド・パーティーまで、どんな現場でもこなしてしまう現在もっともパーティ・シーンから厚く信頼されるDJだ。
ダブ、レゲエ、ヒップホップ、ソウル、ファンク、ディスコ、ブレイクビーツ、ハウス、テクノ、ジャズ、ロック、アンビエント、様々なワールド・ミュージック等々、「フリー・フォームを超えたフリー・フォーム」と云われるほどの自由な在り方で、古今東西縦横無尽にジャンルを超えてオール・ミックス。独自の解釈でいとも自然に混ぜ合わせ、聴く者を引き込んで行ってしまう彼のプレイは誰にも真似出来ない。当然その音楽性は浅く広い訳ではなく、「深く広い」!
また、1997年よりDr.TETSUとのユニット、「BLAST HEAD」としても活躍。
1999年から2000年までに1st~2ndアルバムをリリースし、CHARI CHARIやボアダムスのEYE等に絶賛される。2001年に彼等自身でfree handレーベルを立ち上げ渾身の傑作3rdアルバム「head music」をリリース。ジャンルを飛び越えたまさしくフリーな音楽観溢れるヴァイブを放つマスターピースとして広くシーンに浸透し、CHARICAHRIやCALMのコンパイルcdにもライセンスされた。続く2002年にリリースされた4thアルバム「Landscape」で、さらに自由度の高い音楽性を提示。更なる広い音楽ファンを魅了する。2004年にはUAのアルバムで1曲プロデュースや、光はREBEL FAMILIAのREMIX、RIBERTHのミックスCD等を手掛ける。そして2007年に5年ぶりのアルバム「Outdoor」をリリース。2009年8月5日には、結成12年にして快進の6枚目となるフル・アムバム「NU ISLAND」をリリース!!
多数のDJやクリエイター、パーティー・フリーク、クラブ・ミュージック・ファン達に厚い信頼得て認知される。
■ 生い立ち ■
1973年10月27日徳之島生まれ。中学校まで徳之島ですごし高校は奄美大島へ高校卒業後TOKYOに。新宿アルタで撮影している “笑っていいとも”の客入れのバイトの先輩にDJの基本を教わり先輩の従兄弟が経営する埼玉県大宮のCLUB”BLACK”で初レギュラーをもらう。お店のお客さんは福生の基地の黒人さんが8割のまさに”BLACK”な環境に鍛えられる。そして1番影響をうけたであろうCLUB新宿”カタリスト”でレギュラーDJをまかせられて以降、新宿ゴールデン街にあった伝説のCLUB”エッジ”などイロイロな場所でDJするようになる。その時期に友達とヤっていた”アルツハイマー”ってBANDが”スケボーキング”って名前に変わったのを機会にBANDをやめる。その後、新宿でレゲエ居酒屋”BOB”、2丁目にあった日本でもっとも古くからヤっていたといわれたレゲエCLUB”69″、CLUB”ACID TOKYO”などで働きつつDJをする。24歳のとき新宿”OPEN”東高円寺”GRASS ROOTS”同じ年に開店したこの2つのお店でレギュラーDJをまかされ、気づいたら12年間レギュラーDJをヤっていた。2009年36歳になり徳之島&奄美大島ですごした18年間、東京ですごした18年間、とちょうど同じ年数になった機会に2010年1月に沖縄に移住。
よろしくお願い致します◎
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